子供の頃の宿題のこと
子供の頃、宿題というものをやった覚えがほぼない。
日々の宿題も、夏休みの宿題もほぼやらなかった。
勉強が苦手だったから、というわけでもなく、まあ勉強は特別出来たわけでも出来なくもなかった。偏差値はいつも50よりは上だけど60とかはいかない、という位置をうろうろしてた。
でも宿題はやらない。なぜ?と言われると、「やらなくてもなんとかなるから」だったと思う。
宿題をやらないと当然怒られるわけだが、先生によって怒られて終わりの場合もあるし、後日の提出を求められることもある。怒られて終わりのケースはこれはもう勝ちだ。怒られれば済むのでやる必要がない。
後日に提出の場合も、後日も忘れるとそのままうやむやになるケースが結構ある。これも勝ちだ。やる必要がない。
しつこく求めてくる先生もいる。これはもう仕方ない。友達のを写すしかない。(やってない)
場合によっては言い訳で切り抜けられるケースもある。だから上手い言い訳を考える努力も惜しまない。上手くいった言い訳はまた次も使うことができるかもしれない。
言い訳して怒られた場合は「反省した、宿題をやろう」ではなく、「反省した、もっと上手い切り抜け方を考えよう」と思っていた。
とまあそんな具合だった。
私の妹はそんな私を見て、さっさとやれば済むのになぜやらないんだこいつはといつも疑問に思っていたようだが、私からすれば「やらない」というのが前提条件なのに「やれば済む」というのは前提条件を全く踏まえてないおかしな話だと思っていたぐらいだ。言うまでもなくおかしいのは私だ。
割と大人になってからもこの「やらなくてもいいことはやらない」癖は抜けてなくて、投稿が採用された人の一部にノベルティを発送する係を一時期やっていたことがあるのだが、発送が面倒くさくて放置してたら当たった人から電話が来たので送ってないことが発覚したことがある。発送遅延ということで謝罪して丸く収まった(?)のだが、今考えるとなかなかにキンタマがキューとなる話だ。
とまあこんな具合の完全にやばい奴だった。が、全般でやばい奴ということでもない。例えば締めきりのある仕事なんかは受けてすぐにだいたいのイメージを先方に送ってイメージをすり合わせて、その都度進捗報告して相手を安心させて、締め切り前にはだいたい仕上げておくことができた。宿題と似たタスクなのだが、これはやらないとどうしようもないしさっさとやった方が評価が高いのでさっさと終わらそう、という発想ができるのだ。逆に、締め切りが具体的になくてていつまでに出すのかがふわっとしてる仕事は大抵放置気味になっていた。先述のノベルティの発送がそれにあたる。
この歳になると自分でもある程度「自分のこういう所はやばいな」と自覚しているから気をつけることが出来ている。たぶん。
町田粥さんの「発達障害なわたしたち」でも同じように宿題を全くやらないと言っている人が登場していた記憶しているが、多分当時の私も診断受けてなかったけど発達障害な面があったんだろーなーと今振り返ると思う。
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