ゲームに狂っていた
子供の頃の私は、とにかくゲームに狂っていた。
小学一年生になるまで我が家にはゲーム機がなかった。団地の下の階に住む友達の伊藤くんの家にはゲーム機があったので、私は保育園児の頃からヒマさえあれば伊藤くんの家に通い、ひたすらファミコンをさせてもらう生活をしていた。ヒマさえあればと書いたが保育園児にはヒマしかないので、つまりそういうことです。
伊藤くんは小学一年生の時に団地を出て近隣ではあるが学区外に引っ越してしまい、それきり会うことはなかった。今考えると、毎日のようにゲームをやりにくるクソガキを伊藤くんのお母さんが腹に据えかねたのでは?と思わなくもない。真相はわからないが。
伊藤くんの家でゲームするばかりではなく、時には近所のゲーム屋にも出かけた。50円や100円で10分間、好きなファミコンゲームをできる店が当時あり、私は親の貯金箱の口からつまようじやドライバーなどを駆使してなんとか100円玉や500円玉を取り出して、ゲームをやりに行っていた。おそらく年長か小学一年生ぐらいだったはずだ。これも今考えると年長が一人でそんなところに?と驚くが、当時は年長ぐらいでも割と一人で遊びに行っている子は多かった。時代だ。
小学一年生の冬休みに、ついに念願のファミコンを買ってもらえた。ディスクシステム付き。
子供たちひとりにひとつゲームを買ってくれた。私はリンクの冒険を、妹はパルテナの鏡を、姉は中山美穂のトキメキハイスクールを買ってもらった。私はリンクの冒険とパルテナの鏡をベルトがすり切れるほどやった。当然やりすぎて親に怒られ、ぶん殴られ、アダプタを隠された。親のいない時にこっそり取り出してプレイして、団地の廊下の靴音で帰ってきた気配を察知して咄嗟にしまう、という日々を送っていた。失敗して親父にみつかるとぶん殴られた。
小学二年生の時にドラゴンクエスト3が発売。親父と大須商店街に買いに出かけたのをよく覚えている。人が多くてすごい大きな街だな、と思った。
小学三年生の頃、家の近くに「ファミコンランド」というファミコンショップが出来た。
この店では10分100円でゲームができるシステムの他、毎週変わるPCエンジンの無料ゲームが用意されていた。
私はこのPCエンジンが気に入って、ほぼ毎日のように小学校から帰るとファミコンランドに通い詰め、ひたすらPCエンジンをやり続けた。毎週変わるのに、大抵その週のうちにはそのゲームをクリアするほどに通いつめていた。なので私は多くのPCエンジンソフトを、PCエンジンを持っていないくせにクリアすることができる。
あまりにファミコンランドに通いつめていたため、クラスメイトからは「ファミ乱」というあだ名までつけられた。
あまりに通うので親父にぶん殴られ、しばらく外出を禁止された。
外出禁止が解かれ、「もうファミコンランドには行かないな?」という質問に「行かない!」と元気よく答え、直後にファミコンランドに向かった。そして直後に、まさかいないだろうと思いながら見にきた親父に見つかりぶん殴られ、また外出禁止になった。そんなことを繰り返していた。
高学年になると、普通のゲームセンターにも行くようになっていた。当時のゲームセンターは治安が悪く、こわいお兄さんたちに絡まれたことも何度かあるし、行ったことが教師にバレて怒られたこともある。でもそんなのどこ吹く風で通い続けていた。
中学に入ってもゲーム好きは相変わらずだった。この頃、うちの祖父の認知症が急にひどくなって、どこかに出かけて帰ってこないということが何度か起きていた。父と母は仕方なく夜中に祖父の家に泊まり込むことが多くなった。
私はそういう日はこれ幸いとばかりに朝までゲームをした。東海ラジオの声優ラジオやラジオ深夜便や走れ歌謡曲を聴きながら、ゲームに明け暮れていた。
高校に入ると、なぜか急にゲーム熱が収まった。バイトしてプレイステーションを購入しはしたものの、やりこんだのはFF7ぐらい。ゲームセンターもなぜか唐突に「こんなことに金を使うのバカらしくない?」と思い行かなくなった。
その代わりに部活(演劇部)に打ち込んで、それが楽しくて仕方なかった。
その後、私は専門学校に入って働き出すのだが、その頃にはほとんどゲームはしなかった。
これも今考えるとになるけど、あんなにゲームが好きだったのは、何らかの問題に対する逃避先だったのかな、という気もする。
私は兄弟の中では一番成績がよくなかったし素行もよくなかったのでよく親父にぶん殴られていたし、運動もクラスで1、2を争うほどできなくて惨めな思いもよくした。中学時代にはいじめに遭っていた時期もあった。
小学校から中学校までは、夜中に目が覚めて自殺について考えることがたびたびあった。私は最近まで「子供ってそういうこと考えるよね~」とそれを普通のことと思っていたのだが、どうも周りの話を聞くと必ずしもそうではないらしい。
だからもしかしたら、ゲームが逃避先として私の心を救ってくれていたのかもしれない。現実には辛いことが多かったが、大好きなゲームをしている時は全てを忘れられた。よく親には「あなたはゲームと出会わなければもっとちゃんとしていたのに。ゲームを買い与えたのが一番の間違いだった」と言われたものだが、ゲームがなかったらもしかしたら私は死んでいたかもしれない。
まあとはいえ単純にゲームは好きだったのでそれだけの話かもしれませんが。働きだすまでゲームはほとんどしなかったと書きましたが、それもROに出会うまでのことだったわけで……
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